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京都地方裁判所 昭和62年(ワ)2415号 判決

原告

北明美

右訴訟代理人弁護士

高山利夫

高田良爾

村松いづみ

吉田隆行

小川達雄

佐藤克昭

竹下義樹

籠橋隆明

被告

進学ゼミナール予備校こと 小原浩次

右訴訟代理人弁護士

村田敏行

青木一雄

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の求めた裁判

一  原告

(一)  原告と被告との間に雇傭関係が存在することを確認する。

(二)  被告は原告に対し、毎月末日限り、昭和六二年一月一日から同年九月末日まで別紙一覧表(二)記載の金額、同年一〇月から平成元年一二月まで別紙一覧表(一)の差額欄記載の金額、平成二年一月一日から別紙一覧表(二)記載の金額並びにこれらに対する右各支払期の翌日から支払ずみまで年5分の割合による金員を支払え。

(三)  訴訟費用は被告の負担とする。

(四)  第二項につき仮執行の宣言。

二  被告

主文同旨。

第二当事者双方の主張

一  請求原因

(一)  被告は、昭和四四年九月京都市伏見区内において大学受験生を対象とする予備校「進学ゼミナール」を設立し、その後名称を「進学ゼミナール予備校」(以下、進ゼミという)と改め、以来同校の校長としてその経営にあたってきたものである。

原告は、昭和五七年三月京都大学経済学部を卒業後、昭和五九年三月被告に講師として採用され、以来勤務してきたものである。

(二)  原告は、雇傭契約後次のとおりの賃金を受領してきた。

1 昭和五九年度(原告は八〇分授業を週六コマ担当した)

〈省略〉

2 昭和六〇年度(原告は九〇分授業を週七コマ担当した。

また、各月分には担任手当として二万円が含まれている)

〈省略〉

3 昭和六一年度(原告は九〇分授業を週五コマ担当した)

〈省略〉

4 解雇前の原告の一・二学期の一時間あたりの賃率は、おおよそ次のとおりである。

昭和五九年度 約四五〇〇円

昭和六〇年度 約五〇〇〇円

昭和六一年度 約五五〇〇円

右の計算方法は、例えば昭和六一年度であれば、一コマ九〇分授業を週一回担当して一カ月三三〇〇〇円であったから、それを四(週)で割って九〇分の六〇を乗じると、一時間あたり約五五〇〇円になる。

原告は賃金仮払仮処分決定を得た後、同六二年一〇月から進ゼミに復職し現実に労務を提供してきたが、被告は仮処分決定を遵守することなく一方的に原告の賃率を引き下げ、しかも完全な時間給制に変更した。

原告が復職後今日に至るまで受け取った賃金は、次のとおりである。

5 昭和六二年度(原告は五〇分授業を週六コマ担当した)

〈省略〉

6 昭和六三年度(原告は六〇分授業を週一一コマ担当した)

〈省略〉

7 平成元年度(原告は六〇分授業を週七コマ担当した)

〈省略〉

原告は、被告に対し昭和六二年一月から九月までは、前年度と同一の賃率で計算した別紙一覧表(略)(二)記載の一月分から九月分までの金員を有している。また、復職後については、解雇前と同じ賃率と計算方法(月給制)で賃金が支給されなければならないにも拘らず、前記のとおり、賃率を引き下げたうえ、完全な時間給制で計算されているのであるから、原告は被告に対し、別紙一覧表(一)記載の昭和六二年一〇月分から平成元年一二月分までの差額欄記載の金員を、平成二年一月一日以降は、少なくとも昭和六一年度と同一の賃金である別紙一覧表(二)記載の金員を有している。

(三)  被告は、昭和六一年一二月一八日原告を解雇したとして原告と被告との雇傭契約の存在を争っている。

(四)  よって、原告は、被告に対し請求の趣旨記載の判決を求める。

二  請求原因に対する認否

(一)  請求原因(一)前段の事実及び後段の事実中原告が昭和五七年三月京都大学経済学部を卒業したことは認め、その余の事実は否認する。原告が非常勤講師として採用されたのは、昭和五九年四月からである。

(二)  同(三)の事実中、原告の昭和五九年九月分の賃金が一四万五〇〇〇円であったとの点及び平成元年一二月分の支給額が五万八八〇〇円であったとの点は否認する。昭和五九年九月分の賃金は、一三万五〇〇〇円であり、平成元年一二月分の支給額は、六万七二〇〇円であった。また、昭和六一年度までは交通費を含めて賃金額が定められ、別途交通費は支給されていなかったが、昭和六二年度以降は、交通費実額を別途支給することになったため、昭和六一年度以前と昭和六二年以降は単純に比較することはできないものである。

(三)  同(三)の事実は否認する。原被告間の雇傭契約は、期間の満了で終了したものであり、被告が解雇の意思表示をなしたことはない。

(四)  同(四)については争う。

三  抗弁(雇傭期間の満了)

原告と被告との雇傭契約は、進学塾の非常勤時間講師という極めて目的と期間の限定された期間の定めのある雇傭契約であり、被告は、原告を解雇したものではなく、単に昭和六一年一二月末日をもって期間が満了したため、次年度の講師に契約しなかったものである。被告の進学塾では、毎年四月中旬から一二月末までの本科と、七月末から八月末までの夏季講習と、一二月下旬から一月上旬までの冬季講習と、一、二月の各二週間開講する直前講習と、更に、必ずしも毎年ではないが、三月に開講する春季講習とがあり、それぞれ各時期の目的に応じてカリキュラムを変え、それぞれ別個に生徒を募集してきた。

従って、右各講習毎に、授業科目・授業時間・担当講師が変わることになり、これにつれて個々の講師の担当講義の有無、相当時間なども変わるので、被告と各講師は、その都度担当時間・賃金等を定め、右各講習期間毎に雇傭契約を結んでいる。

原告については、昭和六一年度の本科が終了した時点で雇傭契約が終了した。

四  抗弁に対する認否及び原告の主張

原告と被告との雇傭契約が期間の定める契約であり、昭和六一年一二月末をもって期間が満了したとの点は否認する。

原告と被告との雇傭契約には期間の定めがなかったことは、次の事実より明らかである。

(一)  原告は、昭和五九年二月の面接時、被告より四月の新学期が始まって、七月に一学期が終わって、そして二学期が九月から始まって一二月に終わるとの説明を受けただけで、雇傭期間についての説明は一切なく、その後採用決定された時も何ら説明はなかった。従って、当然のことながら、原告と被告との間には雇傭期間を定めた契約書も交わされていない。

(二)  被告は、講師を採用すると、その年の一二月までは「試用期間」的取扱いをしていた。原告も面接の際、被告から「(昭和五九年)一二月まで一応やって下さい。その後のことはその時考えましょう。」と言われ、また、同年四月同僚からも「ここは一年間は試用期間なんや。」と言われた。ところが、原告の教え方が良かったため、同年七月ころには被告から「あなたの教え方はとても良いからずっと続けてくれ。来学期からは給料も上げてやろう。」と言われ、実際、給料は一万円ないし二万円ほどアップした。その後も、被告は原告に対し、職員室での雑談中など折りにふれ「いつまでもやめないでほしい」旨繰り返し懇請していた。

(三)  被告は、原告の経済状況や継続雇傭の希望を熟知しながら、採用以来本件解雇に至るまで二年半以上継続して雇傭してきた。原告は今日に至るまで進ゼミでの労働によってのみその生活を維持してきている。

五  再抗弁

(一)  本件雇止めは権利の濫用により無効である。

原被告間の雇傭契約が期間の定めあるものとしても、反覆更新により期間の定めない契約に転化しているから、被告の原告に対する雇止めは、原告の労働条件改善の要求に対する報復行為と認められ、権利の濫用により無効である。

(二)  原被告間の本件雇傭契約は、期間の定めあるものではなく、被告の原告に対する本件解雇は、以下のような事実から解雇権の濫用ないし不当労働行為として認められるものであるから、無効である。

被告は、昭和四四年九月同校を設立し、同校の校長としてその経営にあたってきたものであるが、その経営は、前近代的なワンマン経営であった。

1 賃金は、賃金体系もなく、支払方法も小切手で、一カ月から長い時で三カ月にも及ぶ遅配が恒常化していた。しかも、遅配についての説明や陳謝などは全くなく、遅配について不平を言うことはもちろん、本来の賃金支払時期に請求しようものなら、その者について次年度の継続雇傭がないことは校内では公知の事実であった。

また授業に不可欠な副教材の印刷代や小テストの印刷代、紙代すら出し渋ったため、講師らは自費でそれらを負担せざるを得なかった。

2 右のような労働実態の下で、昭和六〇年四月からクラス担任制が導入され、担任会議が月一回開かれるようになったのを機に、原告・赤星一哉・藤田高夫・島岡成治・中西稔人の五名はクラス担任をしていた関係上、しばしば労働条件の不満を語り合って懇談を重ねたが、同六一年二月上旬に至り、同人らは労働条件・教育条件を改善するため本格的に会議を開く時期に来たと判断し、同月一三日より数回にわたり会議を開き、交渉方針や要求事項の検討を重ねる一方、呼びかけ文を作成して全講師に働きかけ同年三月二五日、全講師一七名中一四名の賛同を得て講師総会を開催した。右総会の決定にもとづいて、原告は赤星と共に労働条件等につき、同年四月三日及び四日の両日被告と交渉を行った。

3 ところが、講師らの右動きを知るや、被告は「北が今回の首謀者であるから解雇する」旨を講師らに対し公然と述べ、同月上旬ころ一度は撤回をしたものの、その後「講師側からあのような動きがおこるようなことは二度とあってほしくない」と言って原告に対し経過を話すように迫ったり、「講師達の要求行動は身勝手である。」「きれい事を言っても、所詮金目当てだ。」との発言を事ある毎に繰り返し行った。

その上、様々な嫌がらせを行い、同年四月末突然、夏季講習の打ち合わせを祝日に挟まれた五月四日に行うこととし、当日都合がつかず行けなかった者は講習を担当させず、また、同年一〇月には原告や森に対し従来認めてきた授業の振替を認めず、制裁金を科したり、赤星に対しては「生徒の出席率が半数を割った授業を担当している講師の給料を半額に下げたい」との提案をしたりした。

4 同年一二月一八日、被告は、原告に対し、解雇は通告し、その際被告は、本件解雇の理由として、現在の講師メンバーでは自分に対する協力が期待できないこと、賃金の減額、手当の廃止をしたいが、現在の講師のメンバーでは応じてくれないこと、このように考える理由は今春の講師の要求行動にあると述べた。

更に、被告は、同日、小島、石坂、田崎、脇を、翌一九日には松井、赤星を、二〇日には、藤田、中西、森、久保をそれぞれ解雇したが、同月二三日、原告に対し、今回の解雇はすべて今春四月の講師の要求行動を理由とするものである旨述べた。

以上の経過からすれば、原告が多数の講師の賛同を得てその要求を取りまとめ代表として被告と交渉したこと、それに対し被告は強く反発し、中心人物の詮索や原告の解雇をほのめかし、更に、その後もいやがらせを継続したことは、まぎれもない事実であり、被告の本件解雇の意図はきわめて明らかである。

被告は自己の前近代的なワンマン経営を何ら反省することなく、それまで評価ないし有望視していたいわば子飼いの講師らが中心となって突然要求行動を起こされたため、その報復として今回大量の解雇を強行したのである。

六  再抗弁に対する認否

(一)  再抗弁(一)については争う。原告らは意図的に日本の一般的な雇傭状態である定年制による終身雇傭制(換言すれば期間の定めのない雇傭)を拒否し、拘束を嫌って自由な時間に働いて生活することを求めて非常勤講師となっているのである。また、原告らは自らの選択により自由きままに生活するために「定職」を求めていないのであって、一般産業のパートタイマーや臨時工などのように本工や本採用になりたいのになれない人達とも根本的に異なるのである。これらの臨時工は、いわば企業の都合で期間の定めのある雇傭、すなわち臨時工に位置づけされているのであるが、原告の場合は自由でありたい、拘束されたくないために、労働者側で非常勤講師を選んでいるのであり、全く立場が違うのである。原告らは自ら、自らの望む自由な時間の要求のためにあえて不安定な身分を選んでいるのであり、かかる場合には純粋な契約期間の法理で理解すれば充分であり、臨時工一般に関する判例理論は適用の余地がない。

(二)  再抗弁(二)の原告の主張は、原被告間の雇傭契約が期間の定めのないことを前提とする主張であるが、右契約は、期間の定めあるものであるから、解雇権の濫用ないし不当労働行為の主張は理由がない。

また、原告の主張する講師の要求活動なるものは、本件問題が生じて後に原告やその支援者と称する伊藤彰などが、言葉のみ大げさに講師の全体会議とか会議とか称し、原告作成の議事録めいたものを作っているだけであって、その実態は、昼休みや居酒屋における不平不満の話題にすぎず、きっちりとした形で各講師に呼びかけがなされたこともなく、団体としての加盟や登録の手続もなく、団体行動をなすための規約や機関の定めも、代表者の選挙すらなされた形跡はないのであって、およそ、労働組合活動とは無縁のものである。

しかも、原告の主張する活動のうちで唯一被告と交渉したという昭和六一年四月四日から、本件の「解雇」までは半年以上の時間があるが、その間被告に知り得るような何の組合活動も結成準備活動も全くなされず、更に原告の主張によれば、本件原告の解雇時に同時に組合結成準備活動の主要メンバー全員が解雇されたというのに、それでも何の組合活動も生じないのである。

従って、原告の不当労働行為に関する主張は、原告の主張のままでも労働組合法七条の要件に合致しないのみならず、同時にその主張する事実も、わずかばかりの事実を大げさに修飾し、被告が発言したこともない事実を被告の発言として主張しているものばかりであり、事実としても到底認められないものである。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因(一)の前段の事実及び後段の事実中原告が昭和五七年三月京都大学経済学部を卒業したことは、いずれも当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、原告は、昭和五九年三月被告との間において原告が被告の講師として同年四月から勤務する旨の雇傭契約を締結したことが認められ、右認定に反する(証拠略)は措信することができないし、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

二  被告は、前記雇傭契約は、期間の定めのある雇傭契約であり、昭和六一年一二月末日をもって終了したと主張するので、右の点につき判断する。

(一)  成立に争いのない(証拠略)の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

1  原告は、昭和五九年一月下旬ころ被告が経営する進ゼミが講師を募集していることを新聞記事で知ったため、同年二月ころ応募し、被告の面接を受けるに至った。被告は、右面接の際、原告に対し進ゼミの講師として採用された場合には、賃金の支払については、一週間のうち何コマ(何回)の授業を担当するかによって算出された金額を月毎に支払うこと、支払時期は、翌月講師として授業のため初めて出勤した日に支払うこと、授業の期間については、一学期は四月から七月までであり、二学期は九月から一二月までである旨等の説明をなした。原被告間の雇傭契約は、前記一で認定したように、昭和五九年三月に被告の右説明内容の条件で成立したが、書面は作成されていない。

2  原告は、昭和五九年四月から七月まで及び九月から一二月まで進ゼミの講師として八〇分授業を週六コマ担当した。進ゼミの昭和五九年度の一コマの講師料は、二万二五〇〇円であったから、原告の同年四月分の給与は二万二五〇〇円×六+手当一万円の合計一四万五〇〇〇円であった。原告は、同年八月については、右計算式と異なる夏季講習講師料として八万円を、昭和六〇年一月には冬季講師料として一六万円を、同年二月には三学期(直前講習)の講師料として一五万円を、同年三月には春季講師料として一三万円を受領している。

3  次いで、原告は、昭和六〇年四月から七月まで及び九月から一二月まで同ゼミの講師として九〇分授業を週七コマ担当した。同年度の一コマの講師料は、三万円であったから、原告の同期間の給与は、三万円×七+クラス担当手当二万円の合計二三万円であった。原告は、同年八月及び昭和六一年一月には、右計算とは異なる夏季及び冬季の講師料並びに担当手当として各一〇万円を、同年二月には三学期(直前講習)の講師料及び担任手当として一〇万四〇〇〇円を、同年三月には春季講習及び担任手当として二一万円を受領している。

4  原告は、昭和六一年四月から七月まで及び同年九月から一二月まで講師として九〇分授業を週五コマ担当した。同年度の一コマの賃金は三万三〇〇〇円であったから、原告の同期間の給与は、同年一〇月分の一部が欠勤を理由に二万円減額されたのを除き、いずれも一六万五〇〇〇円であった。同年八月分については、夏季講師料として八万円を受領している。

5  原告は、前記期間中、割り当てられた講義と右講義に附随する業務である副教材のプリントの作成のほか、講義を担当する以外の日にも出勤し、受験勉強の遅れている生徒を指導するなど教育熱心であり、また、昭和六〇年四月から同六一年三月まで設けられていたクラス担任制度のクラス担任に指名されるなど、昭和五九年、六〇年までは被告の信頼は極めて厚いものがあった。しかしながら、原告及び赤星一哉らが中心となって昭和六一年三月から四月にかけて進ゼミの講師の労働条件の改善運動をなしたことや河合塾、代々木ゼミナール、駿台予備校の京都進出による進ゼミの経営悪化等の理由もあって、被告は、同年一二月一八日原告に同月分の給与を交付し、同人との雇傭関係の終了を告げるに至った。

6  ところで、進ゼミは、大学入学試験の合格を目的とする浪人を対象とする予備校であるところから、日程は、一年を基本として立案され、また、応募してくる予備校生の人数は、毎年変化するため、被告は、それに応じて講師の人員を生徒数に応じて調整する必要がある。他方、進ゼミの講師の賃金は、一時間あたり、昭和五九年度においては約四五〇〇円、昭和六〇年度においては約五〇〇〇円、昭和六一年度には約五五〇〇円という高額であり、短時間で高給が得られるため、講師としては、大学生、大学院生、大学院を中退あるいは卒業したもの、塾経営者などが多い。また、進ゼミの講師の中でも前記赤星については、昭和六〇年度において京大セミナーという予備校と、森周司においても駿台予備校と重複して講師を勤めていた時期が存する。

7  また、進ゼミの職員は、一定額の給与を受給し、勤務時間も午前九時から午後五時までの拘束時間のある専任講師、講義及びその附随業務を担当する非常勤講師、事務を担当する事務員から構成されている。

8  また、京都市内の大学進学校の多くは、非常勤講師の雇傭期間を一年とし、講師料は、講義する時間単位で計出されたうえ、講師に支給されている実情にある。前記認定に反する原告本人尋問の結果部分は措信することができないし、他に右認定を覆するに足りる証拠は存しない。

(二)  以上のように、原告の講師としての賃金は、原則として担当する講義時間に応じて計出され、講義する時間によって賃金は大きく変化すること、大学受験予備校の生徒数は、一年を単位として変化するが、それに応じて講師の人数も調整せざるをえない実情にあること、被告は、原告に対し面接時に授業期間は四月から七月まで及び九月から一二月までと告げていること等原告の従事していた職務の内容、雇傭契約成立の際の事情、賃金算出の方法等その他諸般の事情を総合すると、原告と被告との間で昭和五九年三月に成立した雇傭契約は、同年四月から一二月までとする期間の定めのある雇傭契約であり、原告は、被告の非常勤講師であったということができ、昭和六〇年及び同六一年においては、原被告間において雇傭契約の更新がなされたが、被告が昭和六一年一二月一八日期間の定めある契約を終了させる意思を表示したことにより同年一二月をもって終了したものというべきである。

なお、(証拠略)によれば、原告は、割り当てられた講義日以外にも出勤したことも認められるが、右出勤は、進ゼミでは勤務の内容として要求されたものでないこと、また、原告は、昭和六〇年四月から同六一年三月までクラス担任に指名されたことが認められるが、クラス担当に対しては、講義に対する対価とは別に毎月二万円の手当が支給されていること、また、原告は、昭和五九年六月ころ被告から、「先生としていてもらうかどうかを決めるために一年間みないといけないと考えている。しかし、あなたに関しては、いままでの一、二ケ月でわかったので、ずっといてもらいたいと思っている。」と述べたことは認められるが、右発言をもって直ちに期間の定めのある契約に切り替えたともいえないこと、等の事情を考慮すると、右事実から前記認定を動かすに足りるものということはできない。

三  原告は、原被告間の雇傭契約が期間の定めあるものとしても、反覆更新により期間の定めのない契約に転化したものであるから、被告の原告に対する雇止めは、権利の濫用により無効であると主張するが、前記認定のように、原被告間の雇傭関係が昭和六〇年、同六一年度において継続されたことが認められるものの、原告は、週何コマの授業を担当するかによって賃金が算出される非常勤講師であると認められること、原告の地位は、臨時工のように、本工とほぼ同じ職務を担当したうえ、時間の拘束をも受けながら、期間だけが定められている場合とは異なっていること、その他前記二で認定された諸事実を鑑みると、期間の定めある契約に転化したものということはできないから、原告の右主張は理由がない。

なお、原告の本件雇傭関係が期間の定めあるものではなく、被告の雇傭関係の終了の意思表示は、解雇権の濫用ないし不当労働行為であるという主張は、その前提を欠いているから判断を要しない。

四  そうすると、原告の被告に対する請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用は民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 水口雅資)

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